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卑弥呼はどこにいたのか 神武天皇はどこから来たのか 

以前から書こうとは思っていたのですが、日本古代史最大の謎とされる卑弥呼がどんな人だったのか、どこで活動していたのかなどについて、以前紹介しましたFBI捜査官のマクモニーグルさんが透視していましたので、その概要を示します。何と言いますか、今までの定説を覆す、感動的な説明本でした。鋭いです。
謎の邪馬台国を発見」という本より

かなり興味深い透視内容で、
沖縄とヤマトの原初のつながり、神道、日本的なる信仰・精神のルーツを探るのに大きなヒントとなるのではと思ったりします。

以下、要所を示します。

その前に、イメージのために、「魏志倭人伝」に示された、当時の風俗を示します。

倭人の風俗としては、男はみな刺青をしていた。刺青は国や身分により異なり、朱を体に塗ることもあった。人々は酒好きで長生き、犯罪は少なく礼儀正しく秩序があり、魚介類も好んで食べる。
人々が重要なことを決定する際に、父や子、男女の区別なく集まった。

この本の著者によれば、政(まつりごと)において、女性の地位が必ずしも男性に対して低かったわけではないとのこと。
古代社会では、女性が政治に関わることは非常に少なかったことを考えると、これは非常に重要なことであるのではないかとのことです。

以下マクモニーグル氏の透視でわかったことについてです。発見の経緯については上記の本に細かく書かれています。

卑弥呼の身体的特徴
慎重157センチ、体重55.3キロ、目がスティールグレー、髪の毛は腰まである。そしてその容貌は、沖縄の女性を髣髴とさせるものである。画像こちら卑弥呼
 結構お目目ぱっちり二重です。一般的に想像されているイメージとは違うのではと思います。
卑弥呼のもつスティールグレーの目は光を集め、見るものに反射させたという。あまり笑うこともなかった。
そして、彼女の前に座る男達に、美しい肌をどう見せればいいか心得ていた。シャーマンで、多くの人に助言を与え、とても尊敬されていた。

相談内容
生産性の問題:いつ種をまくかなど。 家庭の問題:いつ結婚するのがいいかなど。 国の問題:いつ貿易を行うべきか。 生存の問題:穀物倉庫からどれだけ分配すべきか。多くの幸せのために、誰が生き、誰が死ぬか。 癒しの問題:病気など。しかし対応は稀

沖縄でいう、ノロ、ユタに似た仕事しているなぁと思ったりします。

居住していた場所
夏と冬で、別の居城に住んでいた。

夏の居城
奈良県桜井市鳥見山。要塞化されていた。

冬の居城
山口県下関市豊田湖畔

貿易港として使っていたところ
山口県長門

卑弥呼の墓の場所
豊田湖畔安徳天皇西市陵墓参考地(宮内庁管理のため立入不能)

卑弥呼の重要な祭祀の場所
山口県長門市三隅町の三隅下「天神様」のある丘

卑弥呼の活躍した時期
卑弥呼による統治の始まりは西暦218年ごろ。(一般に考えられているよりもだいぶ遅い。)

卑弥呼の民族
卑弥呼の部族の祖先を8,9世代遡ると、沖縄にいきつく。もっと遡ると、東南アジアにいきつく。卑弥呼の部族は朝鮮半島南部も領有していた。そこの部族から進んだ稲作技術を奈良にもってきたことが、部族連合の繁栄と安定をもたらした決定的な要因となった。

卑弥呼の一族は、南から、日本に入ってきた。
中国の昆明から、ハノイ、ハイフォン、マカオ、台北、沖縄、福岡、長門の順にたどり着いたとのこと。
昆明では、高床式住居や精霊信仰、祖先崇拝などが特徴的がある。

また、卑弥呼的な信仰、その民族が残した宗教は、沖縄に色濃く残っている。
沖縄には、おなり神信仰、つまり 妹が兄を霊的に守護するという考えがあり、女性が霊的部分でサポートし、男性女性は対等である。
(これは琉球国の統治の仕方に酷似しています。今となっては謎が多い古琉球においても、もっと邪馬台国的な信仰、生活はあったのかもしれません。)

奄美・沖縄には現在まで女性のシャーマンが存在し続ける場所であり、精霊信仰、祖先崇拝が見られる。

その他
物部氏は神武天皇が東征する前から君臨していた饒速日の子孫で、日本古来の宗教である神道の保護者であり、天皇以上に神道の守護に固執していたため、後に仏教を導入した曽我氏と激しく対立した。
この本の著者によれば、このことは、神道が邪馬台国から唯一受け継いだものだったから物部氏は保護にこだわったではないか、とのこと。(物部氏の血筋からすると、それはわかる気がします。舶来の仏教に対する気持ちは)

邪馬台国という名前について
ヤマトという名前は卑弥呼の出身部族の名前でもあり、実は、邪馬台国は「ヤマト国」と読む。

マクモニーグル氏の透視が出ている他の本によりますと、神武天皇は中国の内陸(甘粛省の西側)からきた騎馬民族で、朝鮮半島から入り、邪馬台国と対立した後、優位になった と書いてありました。東征は日本上陸の暗喩。 

とすれば、
縄文的な、精霊、調和を重んじる神道が南から入り、琉球や奄美の一部にはその信仰形態がまだ残り、北のほうから、武士道のルーツ的な騎馬民族が入って本来の神道的な伝統が変質しており、それが今の日本の不調和を生んでいるのではという気がします。
精霊信仰的なものと、武士道的なもの、日本国内に入った異種の文化が、歴史上ずっと日本の調和を阻害しているように思うのです。

このことは、ある霊的な人が表現していた下記の言葉と内容が酷似しており、正直驚きました。

「邪馬台国の時代とそれ以前から、ヤマト国の基本ルーツは沖縄にあった」
「西洋列強が日本国を狙っていたその時期に、寸時を争うタイミングにあって、ある意味で、日本国は琉球国のおかげで日本はペリー提督による平穏な開国劇を成し遂げたといえる」
「去る大戦では、沖縄の犠牲によって本土防衛を果たした。(アメリカは、沖縄で想定以上の犠牲が出たため、本土上陸をとりやめています。オリンピック計画だとか、九州に9発の原爆を落とす計画もありました。とんでもないことです。)」

「敗戦後は、沖縄に巨大な軍事基地を建設し、米国に提供したことによって、日本国は日米安保条約の下で経済振興のエネルギーを蓄えることが可能となり、経済大国の基礎を作ることができた」

「神道命令によって、日本国民から、邪馬台国の昔から日本の精神的支柱であった、神道的支柱を骨抜きにされた。(GHQが日本に戦争への罪悪感を植え付け、大麻禁止令なども出した話などは有名です。)」

「GHQは、国民教育から、神道、修身、日本歴史の禁止を命じた」

「GHQの政策によって、日本国は戦後、神話時代から続いた日本の歴史を軽んじ、日本の古き精神文化を疎かにした。その結果、米国の物質文明を崇拝するような、マネーゲームに一喜一憂するような経済への奴隷へと洗脳されてしまった。」

本来、神話とは、文字に書けなかった悠久の昔の民族的伝承であることが多いです。よく思われている、明治以降の国粋主義を掲揚するための宗教では本来ありません。

ちょっと広がってしまいましたが、様々の透視などを総合すると、琉球と日本の関係は、実は相当深いものがあるのではと思いました。
まだまだ、透視ベースの推測ですが、いつの日か、証拠が見つかり、大切なものを見直す日が来ることを願います。
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