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日月神事の深い言葉について  その2!

先ほどのものに続けて、特に印象深かったところを紹介します。
読めば読むほど、深い言葉です。
以下日月神示より

神に捧げずにむさぶるからメグリつむのじゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運開くのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまりてひらけん。この判りきつたこと、何故にわからんのじゃ。

衣類も家も土地も、みな神から頂いたのではないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与えられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。

何事が起こってきてもそなたはまず喜べよ。それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが、天地はれるぞ。輝くぞ。
そなたは先ばかり見てゐるぞ。足で歩くのぢゃ。足元に気つけねばならんぞよ。そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ。相談結構じゃなあ。相談して悪いことは気つけ合って進んでくだされよ。

そなたは一足飛びに二階に上りたい気持がぬけない。何事も一段ずつ、一歩ずつ進まねばならん。それより他に進み方はないのぢゃぞ。

先ずそなたの中にいるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教え、導かねばならん。けものを人間と同じようにしてはならん。けものはけものとして導かねばならん。金は金、鉛は鉛ぞ。鉛を金のようにしてはならん。鉛は鉛として磨かねばならんぞ。浄化とはそのこと。

世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、何が何だか、われよしの人民にはいよいよ判らなくなり、あせればあせる程ふまみに落ち込むぞ。

心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ。見えたら先ず自分の周囲に知らさねばならん。知らすことによって次の道がひらけてくるのぢゃ。自分だけではうれしうれしとならん。うれしくないものは弥栄しないぞ。
コト=言(光透)と、時と、その順序さえ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考えてもよいのぢゃ。

そなたはいつも深刻な顔をして考え込んでゐるが、考え方にもいく通りも御座るぞ。そなたは苦に向かい苦にかつたつもりで、苦を楽しんで御座るが、苦は曲がることぞ知らしてあろうが。苦をつくり出してはならんぞ。苦を楽しむより、楽を楽しむ心高いぞと知らしてあろう。苦しむと曲がり、楽しむと伸びるぞ。

先祖はそなたではないか。地下にあるそなたの根が先祖ではないか。根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ。根から芽が出て幹となり枝が栄えてゐるのと同様ぞ。分家しても先祖まつらねばならん。先祖をおろそかにするでないと気付けてあるでないか。

そなたはつまらんことにいつも心を残すからつまらんことが出てくるのであるぞ。心を残すということは、霊界とのつながりがあることぞ。つまらん霊界にいつ迄くつついてゐるのぢゃ。

何事も清めて下されよ。清めるとは和することであるぞ。同じもの同志では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。

頭を下げて見なされ、流れてくるぞ。頭も下げず低くならんでゐては流れてはこないぞ。神のめぐみは淡々とした水のようなものであるぞ。そたなは頭が高いぞ、天狗ぞ。

そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを直すことが最も大切な御用ではないか。
これに気がつかねば落第ぞ。おそれてはならん。おそれ生むからぞ。喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ。喜びは神ぢゃ。神様御自身も刻々弥栄して御座るぞ。故にこそ生長なされるのぢゃ。人間も同様でなくてはならん。

昨日の自分であってはならん。今の自分ぞ。中今のわれに生きねばならん。われにどんな力あったとて、我を出してはならんぞ。我を出すと力なくなるぞ。我を、大き我に昇華させよ。大我にとけ入らねばならん。人おろがめよ。物おろがめよ。

そなたはよく肚をたてるが、肚がたつのは慢心からであるぞ。よく心得なされよ。下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、起こってよいのであるなれど、怒りの現し方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短くして下されよ。
怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。

そなたは自分の役に不足申す癖があるぞ。そのくせ直して下されよ。長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。
手は手の役、足は足の役、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎ないこと、そのあたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ。

そなはたこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十わかるのぢゃ。云われん先に判ってもらわねばならぬぞ。知らしてからでは味ないぞ。十人並みぞ。今度の御用は千人力。十人並みでは間に合わんぞ。

見極めた上にも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でもわかってゐると思うと、大変な間違いあるぞ。一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違うぞ。

悔い改めて下され、深く省みて下され。深く恥ぢ恐れよ。心して慎んでくだされよ。直ちによき神界との霊線がつながるぞ。霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。気持ちが曲がったら霊線が切り替えられる。

そなたは失業したから仕事を与えてくれと申してゐるが、仕事がなくなってはおらんぞ。いくらでもあるではないか。何故に手を出さんのぢゃ。
そなたはすぐ金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀そうだから、などと申しているが、どんな仕事でも、その仕事にとけ込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そのあたは目の先の慾にとらわれ、慾になり切って、眼の色を変えて御座るぞ。それでは仕事にならん。
仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。この道理さえ判れば、失業はないぞ。自分が仕事ぢゃからのう。

そなたは自分の力を人に見せようとしてゐるが、無邪気なものぢゃのう。自分の力が隠せぬようでは、頭に立つことは出来んぞ。何も彼も出して了ったのでは味がなくなるぞ。

為すのは己であるから、己に祈らねばならんぞ。己に祈りたあと、己が為さねばならんぞ。乳房与えられても自分で吸わねば自分の身にはつかん道理ぢゃ。
だが、為したのみでは未だ足らんぞ。時々は省みなければならんぞ。

一枚の神にも裏表あるぞ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現れであるぞ。

抜粋以上です。

太神さまの人々に対する深い愛情と、自分のおこがましさに気付く言葉の数々です。

感じるところのある方は、ぜひ、ご自身でもこのひふみ神示を手にとってみられることをおすすめします!
ひふみ神示

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