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本当に国民を大切に思われる天皇陛下と安倍晋三との行動の相違について

今回は、先日12月18日に行われました、天皇陛下の80歳の記者会見などについて示しておきたいと思います。

震災時3.11には、天皇陛下が「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう」メッセージを発し、皇后陛下とともに、被災者遺族の国民を励まされ、私の見る限りでは、国民の気持ちにより添える、世界の歴代リーダーでも稀に見る人格、徳を持つ陛下だと感じています。

その一方で、あえて同時期に靖国参拝をする(恐らく自分の支持者への公約達成のつもり、あるいは自分のよくわからないこだわりなんでしょうけども。参拝模様の凜としたかっこいい?写真がネットにいっぱい載っています。このセンスは彼自身のコーディネートかもしれません。あるいは12月26日でアメリカへのプチな反駁かもしれません。)

安倍総理には、天皇陛下の行動、考え方と明確な差が見られます。

今上天皇は、パールハーバーのあった12月7日に近い18日に、「今の日本の平和と民主主義を守る大切なものとして、日本国憲法を作った国内、国外の知日派の人に深い感謝の気持ちを抱いている」とコメントしています。

事実としては、結局国民の命を平和を愛する気持ち、憲法が戦争のない68年間をつくったわけですし。
(田中角栄なども「日米安保を利用できたから経済成長への投資に向かえた」といっています。)
68年前、国民があのような形で亡くなったことに昭和天皇、今上天皇ともに、とても心を痛めています。
そして繰り返してほしくないことも話しています。

その一方で、安倍総理は、同じ12月パールハーバーを彷彿させ、しかも毛沢東誕辰120周年記念日の12月26日にわざわざ靖国参拝をしています。

(少し靖国参拝について説明しますと、1972年日中国交回復交渉に際して、周恩来首相は、日本に賠償金を請求しない大譲歩をしました(これが日本にとって非常に足かせになっていたので国交を踏みとどまっていた)が、その理由は「日本はもう軍事国家でないから」というものでした。(今後は平和にやっていきたいという周首相の願いを感じます。)
こうしたうまい理論付け等もあり、国交正常化への交渉は進んだのですが、
その文脈で中国が譲歩し、賠償を要求せず国交する根拠となってる以上、首相が靖国に参拝することは、(大臣までなら実質は許容しています)日本政府が軍国主義を認めることになり、戦争で痛めつけられた、中国国民も納得いかないわけです。で、中国政府も怒るわけです。)

しかもパールハーバーの天皇会見への反駁のようなタイミングで行うこと、これはアメリカへの超下手くそな反駁にもなります。
(最近の態度を見ると、メディア見ても安倍降ろしの動きもあります。集団的自衛権で何か決めたら安倍さん即スポイルルされるでしょう。)

果たして、安倍晋三は、国民のことを心底案じる陛下の意向を慮る本当の愛国者なのでしょうか。
それともまさか、政治トップの自分の方が上と思っていないでしょうか。
変な慢心や焦りが、彼をおかしくしているように見受けます。
本当に天皇陛下を大事にする、本当の真正保守、右翼なら、「安倍ちょっと調子載ってるんじゃないか」 と考えると思いますが。

以下、天皇陛下の会見コメントです。(関連部分に下線引きます)

天皇陛下80歳:記者会見の全文 (毎日新聞 2013年12月23日)

2013(平成25)年12月18日 皇居・宮殿「石橋の間」で

(宮内記者会代表質問)

(問1)陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成の今までを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせください。

陛 下 80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人といわれています。前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。

 傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。

 80年にわたる私の人生には、昭和天皇をはじめとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、さまざまな教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。

(問2)両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせください。

陛 下 「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとはあまりに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引き継ぎは体調とは関係ありません。

 負担の軽減に関する引き継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています。

(問3)今年は五輪招致活動を巡る動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動について、どのようにお考えかお聞かせください。

陛 下 日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されています。この条項を順守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。

 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、趣旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聞くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官はじめ関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。

(関連質問)質問させていただきます。先日、陛下は皇后さまとインドを訪問され、日印の友好親善を更に深められました。53年ぶりとなったインド公式訪問のご感想をお聞かせ願うとともに、国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせください。

陛 下 この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。

 インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。

 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネール首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。

 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、あまり知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。

 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。

 ネール大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。

以上、天皇陛下のコメントでした。

戦後、日本中を巡幸し、国民を励ました昭和天皇と似た気持ちを感じます。
広島での巡幸など、写真等を見ても、とても重いものを感じます。
(カルト的な評価もありますが、本人の真心は本物だと思います。)

恐らく、殺されてもいいからくらいの気持ちで行ったようにも思えます。
保身を考える人ではできない行動です。


以上、天皇陛下についてでしたが、
以下、安倍首相の靖国参拝についてこう説明しています。
要するに、政治家安倍晋三としての個人的リベンジのようです。
(こんなことで、アジアアメリカを混乱させられても困るんですが)

いちおう産経は下記のように持ち上げていますが、7年ぶりに首相がやるのかについて、ちょっと根拠に乏しいです。
本当に、戦前・戦後を見てきた愛国者なら、天皇会見をものともしない安倍さんの行為に違和感を感じると思います。

「国の指導者が参拝し、英霊に尊崇の念を表するのは当然だ。(以前の)首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ。今言ったことから考えてほしい」

 安倍晋三首相は就任前の昨年9月の自民党総裁選共同記者会見で、首相に就いた場合に靖国神社に参拝するかどうかを問われ、事実上、参拝する考えを明らかにしていた。

 それに先立つ平成23年11月の産経新聞のインタビューでも、「それ(自身の不参拝)以来、首相の靖国参拝が途絶えたことでは禍根を残したと思っている」と述べるなど、参拝に強い意欲を示していた。

 首相は小泉政権時代の小泉純一郎首相の靖国参拝を一貫して支持、支援してきており、靖国参拝は「政治家、安倍晋三」としての強い信念に基づいている。

 にもかかわらず、首相は第1次政権では病に倒れて参拝する機会を逸した。再登板後も春の例大祭、8月15日の終戦の日、秋の例大祭…と参拝を見送ってきたのは、「英霊の慰霊を政治・外交問題化したくない」という思いからだった。

 今回、26日というタイミングを選んだ背景には、靖国参拝に反発する中国、韓国との関係は「現在がボトム(底)で、これ以上悪くなる心配がない」(政府関係者)ことが一つある。(←この論理も、官僚的で意味不明です。これ以上の関係悪化も全然ありうるでしょうに)

また、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に進展があり、「日米の安全保障関係が底割れする懸念がなくなった」(外務省幹部)ことも大きい。

 いずれにしても中韓や野党などの反発は避けられないが、首相は「日本を取り戻す」ためにも、靖国参拝を断行すべきだと決断したのだろう。(阿比留瑠比)


以上です。今後も安倍晋三の「奇行」に注意です。
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